あー、と主が声を出す。たん、と私がテーブルを叩くと、少し高くもう一度。
「ん、こんな感じかな」
主はそう呟くと、手にしていたレコーダーを持ち上げた。口元に持ってきて、私に向かって小さく笑う。
「がくちゃん、間違ってたら言ってね」
「わかった」
頷いた私に、嬉しそうな笑みを向けて、主はプレーヤーの再生ボタンを押す。流れ出したメロディは荒々しく主の周りに飛び交った。
5秒、一瞬ギターが落ち着いた瞬間に、主がぐっと息を吸った。

悲鳴。

主の部屋が防音なのは、主がこういう曲しか歌わないからだ。
数秒の絶叫から幕を開けたその曲は、主の声には意外なほどよく似合っていた。何事もないかのように血だの肉だのと聞こえてくる。
先ほど眺めた歌詞は凄惨を極めてむしろ清々しいほどだったが、主の声はあれを普通の曲に変貌させてしまうような透明だった。
「うあ、ああああああっ!!あーああああっ!」
内臓を抉られるような声。聞いていて背筋が寒くなる音だったが、それでも確かに主の音楽だった。
私はもう一度歌詞を見た。主の字で丁寧に清書されているそれ。
そこには、こうある。

こんな小さな世界なんて 存在する価値もない!

ひ、と主が笑った。ちょうどその辺りに差し掛かっている。きゅっと主の眉が寄った。
主は可能な限り低い声で、高く、言った。
「こんな小さな世界なんて、存在する価値もない!」
主の本心かもしれないと、思った。



歌い終わった主と一緒に下に降りて、子供番組を見ているカイト達の後ろに腰を下ろした。カイトが振り返る。
「お疲れ様です、マスター!どうでした?」
主はオレンジジュースに口をつけて、曖昧に笑った。
「また怒られそ」
「えー……マスター頑張ってるのにー……」
不満そうに唇を尖らせるカイトの頭を撫でた主が、手にしたノートを広げる。それから私の膝にのってきたので、私は主が落ちないように腰に手を回した。
主が開いたページには、乱暴な字で 活動報告 と書かれていた。主がペンのキャップを取る。今日は青い。
かなで、と主が書いた。何月何日何曜日。何時。主はこういうところが妙に細かい。
「まぁ、録音してる時は割と手抜きだし……音取ったり声調節するくらいだし」
主はそう呟きながら、すらすらと文字を書いていく。歌詞変えようか?と書いてあった。
カイトが興味津々といった風にそれを眺めている。私たちボーカロイドは曲をつくることがないからだろう。
「……って、ゆっくんだったんだ、作曲」
主が前のページをめくって笑う。主の背中越しに覗くと、可愛らしい字で 僕が作曲したよ とあった。カイトがその字を指さす。
「いつもの人じゃないんですか?」
「ゆっくんは久しぶりかなぁ……」
主は私を見上げた。逆さまの視線。
「がくちゃん。だいじょーぶだよ、わたし、ここだよ。って歌わかる?」
主の歌声に、私は少し考える。メモリを探ると、確かに聞いた覚えがあった。
確かとても可愛らしいメロディで、主が楽しそうに歌っていたはずだった。
「あの、可愛らしい……」
私の答えに、主はぱあっと顔を輝かせて頷いた。
こう思っては難なのだろうが、こういう顔をする主はいささか年相応には、ましてや男性には見えない。どう控え目に見ても女性に見える。
「あれがゆっくんの曲なんだよ」
「……歌いにくいだろう、あの曲の雰囲気では」
むしろ主が作詞した方がいいような気がする。主は私に寄りかかると、だよねぇ、と溜息をついた。
「仕方ない、考えよう」
主はそう言うと、私の膝から降りて二階に上がっていった。主が何も言わないということは、ついてきてほしくないということだ。
カイトがいそいそと私の隣に座る。
「マスターの歌、がくはどう思う?」
「どう、とは」
私の言葉にカイトはうーんと、と考える素振りを見せた。その隙にリンが声を上げる。
「私はマスターの歌大好きだよ!」
にっこりと笑うリンに頷いて、私はカイトを見た。
カイトは照れたように笑って、そだね、皆好きだね、と呟いた。
ちょうどその時主が戻って来て、カイトがぱっ、とそちらを見た。
「色は匂えど散りぬるを、かな」
主はそう呟いて笑うと、また私の膝にのってノートを開いた。
「マスター、それ何ですか?」
カイトの問いに主は言った。
「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならん」
「有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔いもせず、か」
私がぼそりと呟いた言葉に、主がけらけらと笑った。
きょとんとするカイトの頭を撫でた主は、それから楽しそうにノートに文字を書き始めた。
私はカイトと顔を見合せ、小さく笑うとテレビに目を向けた。


数日後、絶叫の面影が欠片もない曲を楽しそうに歌う主の姿があった。