ころん、と床に転がり落ちた奏を追って、がくぽは床に膝をついた。奏はうー、と呻き声を上げる。
「がくちゃん」
呼ばれて顔を覗き込むと、目玉がくっと動いた。
「手」
がくぽの手を額にのせて、奏はゆっくりと息を吐いた。がくぽが奏の顔を撫でるとかすかに瞼が痙攣する。
「ごめんねがくちゃん」
奏の声にがくぽは頷きを返した。奏はいつもよりずっと大人しく、転がったまま動かない。
「好きだよ」
奏が呟いた言葉を理解するのに時間がかかった。がくぽが奏を見ると、奏はこちらを見返していた。
虚ろな気配。生きていることが奇跡だというならば、安い奇跡もあったものだ。
奏の根底にあるのは愛情を求める心と死への恐怖と孤独だ。なのに死ぬはずもない。
手首の傷は癒えたように見えた。がくぽは奏の腕を持ち上げて、傷口に唇を当てた。奏が笑う。
ここから流れていくもののことを考えると悲しくなる。
「悲しい?」
奏が天井を見て言った。がくぽは黙ったままで何も言わなかった。奏が起き上がった。
「がくちゃん、僕のこと可哀相だと思ってる?」
「違う」
「違わない」
奏はくすくすと笑う。それからがくぽの胸にぼすんと抱きついた。
「気にしなくていいのに」
「主」
困ったような声が出て、がくぽは口をつぐんだ。奏は抱きついたまま離れようとしない。
背中がソファに当たってぎしりと音を立てた。
「好き」
奏は笑いながら言う。がくぽが何も言い返すことが出来ないのを知っているからだ。
「……悲しいの?」
「とても」
奏が吐き出した息に乗せるようにがくぽは口を開いた。一言だけのその言葉に、奏は顔を上げる。
「どうして?」
がくぽは奏の額に頬を寄せた。すっぽりと奏を包み込む形になる。
「主を愛しているから」
愛しているから、突き放さなければならない時もある。奏にはきっと分からない。がくぽが普段どれだけ奏を愛おしく感じているか。
案の定きょとんとした奏を抱きしめてがくぽは目を閉じる。
「がくちゃん」
奏の不安そうな声がする。胸元で震える吐息が揺れている。
「……僕は怖いよ」
奏が独り言を言っている。

「がくちゃんが僕のこと愛してるって言ったけど、僕には何も分かんないよ。愛してるってどういうこと?僕がいつもがくちゃんにすることも、愛してるからすることになるの?
 どうしてがくちゃんは僕のこと愛してるの?お父さんもお母さんも、僕のこと愛してないんだよ?なんでがくちゃんは好きなの?
 …………怖いよ。僕たちはずっと一緒にはいられないのに、どうして好きになれるの?
 がくちゃん、僕は」

奏はそれきり黙った。それから低く、言った。

「ごめんなさい」

がくぽは聞かない振りをして、奏の背中を撫でた。