マスター。カイトは声を出した。奏は顔を上げた。
「僕、マスターのこと全然分からないんです」
「うん」
奏はカイトを見つめたまま頷いた。カイトはぎゅっと両手を握りしめた。握った手の中で、指がぎりぎりと音を立てた。
「僕にとってのマスターは、優しくて、寂しがり屋で、でもすごく強い人です」
マスターは黙っている。いつもそうだ。マスターはいつも、僕や皆の問いかけにリアクションを返さない。ただ、黙っている。
「でも、最近、いえ、リンやレンが来てから、分からないんです」
カイトはフローリングの床を見つめた。奏の足がひくりと動いたのが見えた。
奏はといえば、俯くカイトに笑みを向けるままで、特に何も言わなかった。
「マスターのことが、分からないんです」
カイトはそう言うとがくりと膝を折った。床に丸い雫が跳ねる。
奏が慌てて立ち上がった。
「カイト」
「わかっ、らな」
カイトの前に膝をついた奏が、眉を寄せた困った顔でカイトを覗き込む。マスターが困っているから笑わなくてはと思うほど、目から流れる水は止まらない。
奏はカイトの肩に手を置いた。
「マスターのこと、分からないんです」
カイトは震える指で目を拭う。
「……カイト」
奏の声がして、カイトの視界に笑みが映った。
「ありがとう」
よしよし、と奏がカイトの頭を撫でる。
「分からないのは、おかしいことじゃないよ」
奏は笑う。
「僕だって、分かんない」
「……え?」
ぽかんとするカイトに奏は苦笑した。恥ずかしそうな笑顔だった。
「だって、自分のこと何でも分かる人なんていないよ」
「マスター」
カイトは奏を見た。奏はうん、と頷いて、首を傾げた。
「僕、マスターのこと分からないです」
奏は頷いた。カイトは瞬きしながら続ける。
「でも、マスターのこと分からない僕のことの方が、もっと分からないです」
カイトは奏の噴き出す声を聞いた。
「カイト、ほんとに一生懸命だね」
カイトは顔を上げて奏を見た。奏は肩を震わせて笑っていた。
「あのね、全部分からなくたっていいんだよ」
奏はにこにこと笑いながら言った。

「だって、分かるってことと好きになるってことは違うから」

奏は立ち上がってキッチンに向かい、アイスを持って戻ってきた。
「カイト、アイス好きでしょ?」
カイトは頷いた。奏はカイトにアイスを渡す。
「でも、アイスの気持ちは分からないよね」
「はい」
「一緒」
奏がアイスをくわえる。
「反対に、アイスの気持ちが分かっても、アイスのこと好きになるとは限らないでしょ?」
「はい」
カイトもアイスに口をつける。冷たくて甘い。
「だからね」
奏はぺろりとアイスを舐めてから言った。
「分からなくても好きだよ」
カイトははいっ、と小さく返事をして、僕も好きです、とアイスの中に呟いた。