ふっ、と意識が浮上したカイトは、隣に寝ているはずの気配がないことに違和感を感じた。
「……マスター?」
口に出してから急速に目が覚めた。休ませていたプログラムが立ち上がる音を脳内に聞く。
「マスター!」
ベッドから起き上がってカイトは冷たい床に足を下ろした。冷え切った空気を吸い込む。
「マスター……」
カイトは恐る恐る暗い廊下に顔を出した。明かりの点いていない廊下は物音一つしない。
ひたりと足音を鳴らし、カイトは廊下を進む。誰もいない部屋を一つずつ見て回ったが、奏の姿はどこにもなかった。

「――――……」

カイトの耳が物音を捉えた。微かな音だった。
「マスター?」
慌てて階段を駆け降りたカイトの視界には暗闇が広がるばかりだ。手で探って電灯のスイッチを入れる。蛍光灯が一度瞬いて、リビングの様子を照らし出した。
「え?」
カイトは目の前の様子を理解するのに時間がかかった。ようやく事態を飲み込めた瞬間、カイトの肌にぞわりと鳥肌が立った。
奏は泣いていた。ぼたぼたと、体中の水分を流すかのように泣いていた。
その顔は無表情のままで。
かたん、と奏の首が音を立てたように感じた。人形の動きでこちらを向いた奏の顔が、カイトの青色を見つけて一瞬歪む。
「…………カイト?」
そう呟いた奏の身体がふらりと力を失う。倒れる寸前でかろうじて受け止めたカイトの腕の中で奏は微かな寝息を立てていた。
カイトは奏を抱え直すと階段を上り始めた。奏本人に聞いても、これはきっと分からない。覚えていないだろう。
「マスター、明日、響さんに電話します」
奏をベッドに寝かせてからカイトは呟いた。それは奏に話しているというよりは自分に言い聞かせるような口調だった。
奏の行動には全て目をつむっていってほしいと他でもない響本人に言われている。疑問を持たないでいてほしいと。しかしカイトは、それではいけないと思っていた。
これからずっと一緒に生活していくのに見て見ぬふりばかりは出来ない。
それに、とカイトは心の中で思う。
僕はマスターの心に近づきたい。
傷つくと響は言った。奏だけでなく、きっとカイトも後悔するだろうと。それは響なりに奏のことを思っての行動だった。カイトにそれを責めることは出来ない。
しかしそれは響のやり方で、カイトもそれに従う必要はない。

「響さん、昨日の夜、マスターが」
電話の向こうで響が溜息をついた。奏は学校に行っていて留守だ。
『カイト、奏のそれは、俺にはどうにも出来なかった』
押し殺した声だった。響は奏について話す時いつもこんな風に感情を殺した声になる。
『カイトがどうにかしてくれたらって俺は思ってる。他人任せにしたくないとは思うけど、俺はいつでも奏から逃げてるんだ』
「大丈夫です。僕が出来ることなら、マスターのために何でもします」
響がやっていることはただの逃避だけれど、彼は彼なりに奏と触れ合おうとしていることはカイトにも分かる。だからカイトには響の行為を咎めることは出来ない。
『カイトは本当に、奏のことが好きなんだなぁ』
響は笑ったらしかった。カイトは迷わず頷いた。
「マスターですから!」