マスターの規則正しい文字を書く音を聞きながら僕はそこにいた。マスターはいつものように一言も発しないで座っていた。
今は学校の宿題をやっていない。多分ゆくえさん達とのバンドの何かだろう。マスターは教えてくれないけれど。
青いペンを持っているマスターは、きゅ、とペンを走らせるのを止めて僕を見た。
「ねえカイト、聞きたことがあるんだけど」
「なんですか?」
マスターはとっても頭がいいから、僕に何かを尋ねることは少なかった。だからその滅多にない機会を逃さないように僕はマスターの言葉にしっかりと耳を傾ける。マスターはちょっとだけ迷っているようだった。聞かせてくれれば頑張って何だって答えるのに。
「カイトは青いよね」
「はい」
きょとんとする僕から視線を微妙に外してマスターは言う。
「僕が見てる青と一緒?」
マスターが僕を見ないことで何となく予想できていたことだけれど、やっぱり僕の構造に関することだった。機械的な方の。
「僕たちは、人間と同じ色を見ていますよ」
「カラーコードで言って」
間髪入れずに放たれた要求に僕は素直に従った。マスターは、僕が言うのもおかしい気もするけれど結構癇癪持ちで、こういった些細なことにもちゃんと答えてあげないとすぐに機嫌が悪くなってしまう。
可愛いわがままの一種だと思うよと響さんは言っていた。
「青……blueなら、#0000ffです」
マスターは立ち上げていたパソコンでそれを確認すると、ぱっと笑った。僕は胸を撫で下ろす。
「同じだね!」
それから急にマスターは表情を暗くした。もっと具体的に言うなら、無表情になった。
僕は反射的に身構えた。同時にマスターが立ち上がってこっちを見た。
「嘘ついてないよね?」
「僕はマスターに嘘はつきません」
「本当に?」
「本当です」
マスターは不思議そうな顔をしていた。僕の言葉を鵜呑みにしようか考えていた。僕はいつ何があってもいいようにマスターをじっと見ていた。
マスターがゆっくり僕に近づいてきた。僕は黙ってそれを見ていた。マスターの白い手が僕の腕を掴んだ。ぎりっと音がした。
マスターの沈黙が、視線と一緒に僕を抉った。僕はマスターの瞳を覗き込みながら、ふとある考えに至った。
「ねぇマスター」
「なぁに」
「同じものを見たいんですよね?」
マスターは頷いた。だんだん普通の表情に戻っている。反対に僕の表情はどんどん死んでいく。
これも全部マスターが悪いんですよ。
「一つだけ、思いつきました」
僕はマスターの手を払って掴み返した。マスターが身を引きかけるのを強引に留める。
元々成人男性を模した僕と、高校生で痩せっぽちのマスターの間には圧倒的な腕力の隔たりがある。マスターは忘れているようだけど。
現に僕はマスターの両手を片手で押さえることが出来る。さっきまで壊れていたマスターの表情が怯えの色に染まる。
「マスターの目が僕の目になればいいんですよね?」
「カイト」
マスターが怖がっている。もうそんなこと知ったこっちゃない。分かってくれないのも、こういう思考回路にしたのも全部マスターだ。
僕はプログラムのエラー表示を全て「マスターのせい」と理由付けて消去した。
「僕、マスターと同じものが見たくなりました」
マスターの頬に手を当てるとマスターが大袈裟に震えた。そのまま目の辺りを撫でる。マスターは目を閉じていた。泣きも叫びもしない。
「ねぇ」
どろりとした甘い声が僕の口から零れた。別に僕はマスターを傷つけたいわけじゃない。だから僕の行動におかしいところはない。
マスターは目を開けた。怯えながら僕を見た。その目が欲しいなと思った。
「……強制シャットダウン」
ぼそりと呟いたマスターが微かに笑うのを最後に、僕のプログラムは強制的に閉じられた。


再起動した僕の腹の上にマスターが座っていた。手に何か持っていた。
僕は左側の視界がないことに気付いた。マスターが笑っていた。
「どこから僕が遊んでたか分かる?分かったら返してあげるね」
くすくすと楽しそうな笑い声をあげて、マスターはぺろっと僕の目を舐めた。おいしくないですよ。
「マスター、同じってことで満足しましたよね」
「うん、正解。戻してあげる」
かちりと微かな音がして僕の視界は正常になった。マスターがにやにやしていた。
「でも怖かったのは本当だよ?抉ろうとするんだもん」
出来ないと思うけどね、とマスターは続けた。まだ僕の上からどこうとしない。
「重いです」
「嘘つき」
マスターはまた笑った。
「そんなことばかりしていると、そのうち僕か帯人に痛い目に合わされますよ」
「その時もその時で、ね」
全然懲りてないんですねマスター。