眠くて丸くなっている奏の姿をカイトはじっと見ていた。ベッドの上で胎児のように丸い奏。
朝だった。
今日は休日だから響と出かけると言っていたのに奏は起きない。
「マスター?」
「…………」
目は覚めているようだったが起きる気配はない。既に8時を回っている。
「8時過ぎましたよ」
カイトの言葉に奏の頭が小さく動いた。
「おはようございます」
とどめを刺すように挨拶を述べると奏は渋々起き上がった。大きく伸びをしたあとにカイトを見上げる。
「おはようカイト」
「もう、迎えに来るのは9時なんじゃないんですか?」
寝間着を脱ぎながら欠伸を噛み殺す奏の背中に釘を刺してカイトは部屋を出た。廊下はしんと静まり返っている。
今日はあいにくの曇り空だった。薄暗い廊下から階段を経てリビングについた頃、先程カイトが出て来た部屋の扉が開く音がした。
「カイトー」
ぺたぺたと裸足の音が近づいてくる。リビングに入ってきた奏の手には携帯電話があった。
「カイトも一緒に行こうよ」
「僕ですか?」
洗面所に消えていく奏の手から放られた携帯電話がソファに落ちる。光る画面には笑うカイトの姿がある。
メールの着信で短く震えたそれを手に取った。

From:兄さん
Title:Re:Re:おはよう
Text:いいよ。もうすぐ迎えに行くから、ちゃんと準備して朝ごはんを食べて。

「兄さんは?」
きらきらとした顔で奏が聞いてきた。カイトは頷いて奏の髪を撫でる。
「ちゃんと朝ごはん食べてください」
「はーい」
あらかじめ用意しておいた朝食を食べ始めた奏の前にココアを置いた。ゆっくりと食事をする奏の向かいでカイトは笑う。
ちょうど食べ終わったところで玄関が開く音がした。足音が近づいてくる。
「おはよう」
響は車の鍵をテーブルに置いた。
「おはよう兄さん」
「おはようございます。コーヒーでも?」
腰を浮かせるカイトに首を振って響は奏に声をかけた。
「ほら、歯磨きしておいで」
カイトは響と共に食器を片付ける。奏よりずっと暗い茶色が隣に立つ。
「どこに行こうかなぁ」
「決めてなかったんですか?」
「決めていたけど、天気が良くないから」
奏は動物園に行きたがっていたから、と響は苦笑した。カイトは首を傾げる。
「天気が良くないと動物園に行けないんですか」
「行けないことはないよ。でも動物園は外だから、雨が降りそうだと困る」
「ああ、わかりました」
響はカイトのこういった、人間的には当たり前だと感じるようなことへの疑問を邪険にしない。カイトの脳は、それを優しいと認識する。
戻ってきた奏は僅かに不満げだった。
「行けないの?」
「そうだね……奏が風邪を引いたら困るからね」
響は諭すような口調で言って奏の頭を撫でた。
「水族館にしようか」
苦笑するカイトの前で奏が小さく頷いた。


「カイト!兄さん!」
水族館で一番大きな水槽の前に立って奏が手を振っている。カイトはそれに手を振り返した。
青い光の反射する奏の肌が鮮やかだ。カイトは眩しさに目を細める。響が奏のそばに歩いていって、何か言って笑っていた。
カイトも奏のそばに寄る。奏は夢を見ているような顔で魚を見ている。赤い魚がその前を泳いでいった。
「良かったですね、マスター」
「うん」
「可愛いですね」
「うん!」
「マスターがですよ」
響が一瞬困った顔になったのが見えた。奏は目を丸くしたまま固まっている。
「え?」
「……あ、え、えっ?」
カイトがあたふたと頬を染める。
「奏、おいで」
響が奏を隣の水槽へ導いた。カイトは内心ほっとしながら響を見る。彼はいつものように物静かな顔で、ただ少しだけ笑みを返した。
「すみません」
奏はクラゲを見てはしゃいでいる。その後ろでそれを見守りながらカイトは呟いた。響は笑っている。
「しょうがないよ」
「でも、本当に可愛いと思ったんです」
思わず言葉を続けるカイトに向かって響は肩を竦めた。自重しているようにも見えた。
「俺もそう思っているし、大丈夫だよ」
「そうなんですか」
響は頷いた。それから携帯電話を取り出して奏に向けた。
「奏」
振り向いた瞬間を収めた画面がカイトに向けられる。ぽかんとした顔だった。
「兄さん止めてよ」
「たまには残しておかないとね」
奏はむっとした顔になると水槽を離れて奥へと走っていった。子供のようだった。
「あ、マスター待ってください!」
慌ててその後を追うカイトの後ろから響がゆっくりと歩いてついてくる。奏は大きな魚のいる水槽の前で立ち止まった。
「カイトと一緒に行く」
「俺は?奏」
カイトの手を引いて歩こうとする背中に名残惜しげに掛けられた声に奏は答えなかった。代わりに響の手を握る。
「……ありがとう、奏」
「………ん」
そのまま俯いて歩き出す奏の両脇で二人は肩を竦め合った。


助手席で眠る奏の腕の中にぬいぐるみのあざらしが鎮座している。
「マスター、寝ちゃいましたね」
「久しぶりに学校以外の外に行ったから、気疲れしたんだと思う」
ハンドルを握る響が苦笑を零す。
「可愛いですよね」
「うん、可愛いね」
弟だからねと響が言った。
「僕はマスターの兄じゃないですけど、マスターのこと可愛いと思います」
「知ってるよ」
それから響はにこやかに続けた。
「だから奏もカイトが好きなんだよ」
カイトにはその言葉の意味がよくわからなかったが、奏の寝顔を見るとそんなことはどうでもよくなってしまった。