レンのばかぁ!と大きな声と共に、がちゃん!と何かが割れる音。奏が慌てて部屋を出ると、階段を駆け上がってきたリンと衝突しそうになった。
「リン!」
「マ、マスター……!」
ぽす、とリンを受け止めて、奏は困ったような顔をした。
「どうしたの?」
しかし奏の問いにリンは口をつぐんだ。ぎゅっと唇を噛んで、ぷいとそっぽを向く。
「マスターには……マスターには関係ないよ!」
リンはそのまま部屋に入ってしまった。奏はぽかんとした表情をした後、怖ず怖ずとリンに声をかけた。
「リン?」
リンは答えない。奏は一つ溜息をつくと、これだけ答えて、と言った。
「割ったので怪我してない?」
「…………大丈夫」
ぼそりと返って来た言葉に奏は笑みを浮かべると、あんまり目擦っちゃ駄目だよと言い残して階段を下りた。
「レン」
立ち尽くすレンの足元には、コップだったガラスの残骸。奏を見て口を開きかけたレンに奏は言った。
「ガラスあるから、動かないで。片付けるから」
レンは黙って頷いた。奏は素手でガラスを拾う。もう少し気をつけないと、とカイトがいつも窘める動作。奏は拾ったガラスをバケツの中に放り込む。がちん、とガラス同士がぶつかって更に割れる音がした。細かい破片を掃除機で吸って、すっかり片付いた床を見ながら奏が聞いた。
「怪我は?」
「………大丈夫」
ぼそりと答えたレンは奏に近付くと小さく続けた。
「床に当たっただけだから」
「……そっか」
奏はぽんぽんとレンの頭を撫でた。顔を上げるレンの視界に、柔らかく笑う黒い目。
ぎゅ、と。恐らくは無意識に、レンが奏の服を掴んだ。奏は驚いたように目を丸くすると、小さく笑ってレンを抱き締めた。
「マっ……!」
レンが抗議の声を上げるのを黙殺して、奏はゆっくりと言った。
「大丈夫だよ、レン」
そんなに気に病まなくても大丈夫。リンだって本当はすごく後悔してる。レンも、ね。
奏は口に出さずに呟き、レンの手を引くとソファに座った。隣に座ったレンが、ぴったりとくっついてくる。
「今日の晩御飯、二人の好きなものにしようね」
「…………ん」
レンは小さく頷くと奏を見上げた。
「なんでマスターは喧嘩の理由聞かないんだよ」
奏は曖昧に笑って呟く。まるで内緒話のように、声がひそまる。
「聞いても仕方がないでしょ?それに、レンもリンも悪くないみたいだし」
コップ割っちゃった分リンがちょっと悪いかな?と奏はくすくす言い、レンの目を見た。
「それに、そんな顔してる人、僕は叱れない」
ひたりと合わさった奏の黒い目。レンの青い目が、ぱちんと瞬いた。奏が目を細める。
「レン」
奏がゆっくりとレンの髪に触れる。
「大丈夫」
よしよしと頭を撫でられたレンが唇を尖らせると、階段から足音がした。
「……マスター………」
リンだった。赤くなった目を擦りながら奏を呼ぶ。奏は立ち上がるとリンに近づいた。
「擦っちゃ駄目って言ったのに………。レン、タオル濡らして持って来て」
駄目だよと繰り返しながら奏はリンの頬に手を当てる。レンは立ち上がってタオルを濡らし、戻って奏に手渡した。奏はそれをリンの目にぺたりと当てる。
「しばらくそのままだからね」
「……うん」
リンはこくんと素直に頷くと、ソファに腰を下ろした。奏がその隣に座ってレンを見る。レンは奏の隣に座った。
奏が呟くように紡ぐ。
―もうごまかさないで
貴方に落ちる冷たい雨を掻き分けて
両手を空に翳しているから
貴方に咲く菩提樹―
奏はリンとレンの頭を両手で撫でた。
「大丈夫、僕は怒んないから。ね?」
奏はにっこりと笑う。
リンとレンはお互いに顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「マスター、優しいね」
リンの笑みにレンは同じように笑う。それから奏を見た。
「マスター、ありがとう」
奏はにっこり笑った。
「皆笑顔が一番だもんね!」