マスターに対してとびっきりの愛情を持って接するのって、とても難しいんだろうと思う。
リンやカイト兄さんを見習って、俺も愛情たっぷりにマスターに接したらマスターは少しはまともになるだろうか。
マスターはいつ見てもなんだか空気が異様なので、つい敬遠しがちになってしまうのだけど、マスターはそういうことはどうでもいいらしい。
マスターはいつだって俺たちの前ではまともから逃げている。俺はそれをあまり認めたくないから、結果として少し冷たい触り方になる。
リンやカイト兄さんほど盲信出来ないし、がくぽ兄さんのように割り切ることも出来ない。
俺はずるいのだ。
マスターは俺のそういう人間性――機械性?が好きなようで、しょっちゅう俺に構いたがった。
「レン、おいでおいで」
夏の話だ。庭に広がった太陽に素足をさらしてアイスをかじっていたマスターは、何か面白いものを見つけたらしく俺を呼んだ。俺が傍に行くと満面の笑みで地面を指差した。
黒い蟻の群れだった。一列に並んで行進していた。マスターを見ると一瞬歪んだように見えた。

べちょ。

やると思っていたので俺は何も言わずに、大したリアクションもせずにマスターを見た。マスターは笑っていた。声を出さずに、けらけらと。
アイスの下敷きになった何匹かの蟻には同情する。蟻の列は驚いてすっかり乱れていた。可哀相に。
でもここで俺が一言でもこれについて感想を漏らすとマスターはしてやったりと笑い出すので、やっぱり俺は黙っていた。
マスターは無表情の俺を見て嬉しそうな顔をした。とてもいつも通りだ。それから俺の頭を撫でた。これもいつも通り。
「ごめんねありがと」
マスターはそう言うと、カイト兄さんを呼んだ。マスターの素足にアイスがぼたぼた落ちていた。冷たくないのだろうか。
俺はもう一度蟻を見た。一応元通りに列をつくっている。カイト兄さんの青色が視界をかすめた。マスターが、ほらかわいそうでしょうと言っている。カイト兄さんは頷いて、はい、可哀相ですね。と言った。
マスターがね、と俺は口の中で呟いた。カイト兄さんはマスターの足を見てぎょっとしていた。マスターは溶けたアイスをだらしなく口元に塗り付けた。食べ終わって、困った顔で足を見ていた。
「今拭きますね」
カイト兄さんがふきんを持ってきてマスターの足を拭いた。暑い盛りだというのにマスターは顔色が悪かった。
「自分でしたことだよ」
俺はその日初めてマスターと会話した。マスターは具合が悪そうに頷いて、フローリングの床にだらんと寝そべった。俺は窓を閉めて外の暑い空気を追い出した。
「いいんだ……別に何も、変わらないもの」
丸くなったマスターはそれ以上何か言うことはなかった。
やっぱりマスターは傲慢で、子供で、疎ましがられることを望んでいる。
俺は結構ぎりぎりの関係を築いてしまったので、後はそれをどちらにも壊さないようにするだけだった。
つかず離れず同情しない。これが、俺がマスターに好かれている理由だった。
「寒いね」
夏と同じ窓辺にマスターは座っている。そこに座っていると冷気が当たるような気もするのだけどマスターにとってはどうでもいい。
「こっちに来ないの」
「カイトが来たら」
カイト兄さんは珍しく一人で買い物に行っている。マスターはそれを待っている。依存相手がいないんだから待ってて当然だ。
「寒いよ」
「……今日はたくさん喋ってくれるね」
楽しそうで少し不愉快そうだった。
「俺以外の誰もいないからね」
「そうだねぇ」
マスターはにやにやしていた。その時初めて気付いたけどマスターは裸足だった。
「寒くないの?」
「寒いよ」
マスターは立ち上がった。ぺたり、とフローリングを踏んだ。
「ありがとね」
ぼそりと言ってマスターはカーペットの上に寝転んだ。カイト兄さんが来るまで待つのは諦めたようだ。
眠ったマスターに毛布をかけてから、俺は大きく溜息をついた。
「だめだってマスター。俺にそういう風に接しないでよ」

面倒くさくなるだろ。