響がテーブルの上に置いたものを見て、カイトがひどく狼狽したような顔をした。
「な、なんでですか、それ」
「奏には、必要なんだ」
響はそう言うとそのカッターナイフを手に取った。カイトがびくりと震える。響は困ったように笑い、元のように置いた。カイトが慌ててそれを胸に抱きこむ。
「なんでですか」
「……カイトはさ、奏から、それ、取ったことあるかな?」
カイトはぶんぶんと首を振った。見たくなかったけれど、奏はいつもそれを信じられないほどの力で握って放してくれないのだから。響は小さく頷くと、震えるカイトの頭をよしよしと撫でた。それから、ごめんね奏、と呟いた。
「俺は、俺達は、奏からそれを取り上げてしまったことがある」
響は目を閉じる。カイトは不思議そうに彼を見上げた。
「あれは、俺にもどうにもできなかった」

(返して!兄さんそれ返してぇ!!僕の、ぼくのそれかえして!)

獣のように荒い息をついて、それでも人間のように泣き叫ぶ奏を、響はどうしてやることもできなかった。ただ奏にそれを返して、苦しそうに泣きながらだんだんと気絶していく奏を抱いていることしか。
「奏、怖いだろう?」
「っそんなことありません!」
即答したカイトに響は笑みを浮かべる。カイトはいい子だね、と笑う。
「カイト、奏のこと頼むよ」
「はい」
響は一瞬、辛そうに顔を歪めた。それから小さく呟いた。自分に言い聞かせるような、そんな口調。
「全部、奏なんだよ」

「……なんの、話?」

不意に聞こえた声に、響が肩を跳ねさせた。カイトは僅かに頬を緩ませて、響の背後を見た。
「マスター!」
「ただいま、カイト」
制服に身を包んだ奏はカイトに笑みを向けると、ネクタイを外しながら響を見た。
「どうしたの、兄さん」
「あ、うん。これ持ってきた」
響がカイトの胸を指差す。奏はその指を辿ってカイトが握り締めているそれを見て、一瞬だけ、笑みを浮かべた。
ぞわり、とカイトの背が粟立つ。怖い、という言葉が脳裏に現れた。奏はカイトに近づくと、カイトの頭を一度撫でてからカッターナイフをもぎ取った。
「ありがと、兄さん」
「ううん」
奏は響に笑いかける。響は奏の頭を撫でる。カイトは瞬きも忘れて奏を見ていた。
「カイト?」
奏の不思議そうな声にカイトが我に返ると、少しだけ笑った奏が見えた。
「……ま、すた」
「……あー……」
奏が困ったように首を傾げて、大丈夫?とカッターナイフをテーブルに置いた。カイトは奏の手からそれが離れたという、それだけのことでとても安心して、大きく息を吐いた。
響が苦笑した。奏は着替えてくるね、と言い残して階段を上がっていった。
「……意味が分かった?カイト」
響は小さく低い声で呟いた。カイトはまたカッターナイフを胸に抱いて、かすかに頷いた。
「響さん、僕はどうしたらいいんですか」
奏はきっと、もうこれを離すことは出来ない。だからといって響がずっと気を使うわけにもいかないだろう。
カイトの言葉に、響は表情を変えることなく言った。
「何もしなくていいよ」
きょとんとするカイトに、ようやくといった風に少し笑って響は続ける。
「俺は何もかもしすぎてしまったから、結局奏に負担をかけてる」
「響さん……」
「奏のそばにいてやって」
響はそれきり何も言わなかった。カイトは階段をちらりと振り返る。奏はまだ来ない。
「マスターのこと、僕は大好きです」
響は笑っただけだった。