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カイトが座っている位置から少し。それほど大きくもない、金魚が何匹か動いている水槽の右。水槽に隠れてあまり見えないように配慮されたノートパソコン。 半ば睨むような視線を送っていたカイトの前で奏が苦笑する。そんな顔しないで。そう言って奏は浴室に向かった。一緒に行きましょうか、そんな言葉も、今日のカイトの口からは出なかった。 『ますたぁと一緒に行かないの』 パソコンから笑い声。行かない理由は君なのに。カイトは内心舌打ちをして、水槽越しにパソコンを睨みつけた。 直接見ることができないのはエラーを起こしてしまうからだ。彼――帯人のことを、僕の機械の思考は分かってくれない。 『不便だよね』 「そうだね」 カイトは水槽の前に立った。ここからならぎりぎり見えない。 水の中を泳ぐ金魚達は何も考えていないように見えた。きっと僕が知らないだけで、彼等には彼等なりの辛いこともあるんだろう。分かりたくないけれど。 『ますたぁのところ、行かないの』 もう一度聞かれて、カイトは首を振るだけに留めた。沈黙を肯定と受け取った帯人はまた小さく笑い声を上げて、水槽越しに手を出した。 「よいしょ」 「どうして出てくるの」 カイトはずるずると後ずさった。本当は目を閉じてしまいたい。見れば頭痛を引き起こすに決まっている。 「……だって話しにくい」 帯人は何事もないように言って、と、と床に素足をついた。 「俺、見えない人と話すの嫌いだし」 「だからって」 帯人の紫の瞳が見えた瞬間、カイトはぎゅっと目を閉じた。見てはいけない、機械の部分がそう叫んだ。 「……いいよ、そのまま聞いていい」 「……っ」 帯人の足音が近づいて、隣に座る音がした。 「俺はますたぁのこと好きだよ」 「僕だって」 カイトは帯人に背を向けた。目を開けて、小さく息を吐き出した。帯人がカイトの背中に寄りかかる。振り払いたくなったけれど、両手を握り締めて我慢した。 「ますたぁ、お風呂で一人で楽しそうだね」 あはは、と帯人が楽しそうに言った。その笑い方が奏と似通っていて、カイトは不愉快な気持ちになる。 その気持ちに感づいたのか、帯人がぱたぱたと足を動かした。 「俺を助けたのは君でもあるんだよ、カイト」 「それは、そうだけど」 あの時は捨てられた動物を見つけたような気持ちで、少し違うとはいえ同じだったから助けたくて無我夢中だった。 でも奏と仲良くしているのを見て苦しくて、壊れてしまったんじゃないかと思うくらい苦しくて、こんな思いをするくらいなら助けるんじゃなかったと何度も思った。 「いいんじゃない?」 帯人は呟いて、くるりとカイトの方を向いた。 「カイトは優しくていいボーカロイドだよね」 ひょ、とカイトの視界に帯人の両手が現われた。背後には帯人の重み。目を閉じようとした瞬間、首を絞められた。 「優しいね。本当に優しいよねぇ」 ぎりぎり。カイトの声帯が緩やかに塞がれていく。名前を呼べないまま、呼吸も細くなって。 帯人がカイトの耳元に囁いた。奏のような声だった。 「優しくて、好きだなぁ」 しんじゃってほしいくらい。 くすくす、と笑った声に振り返ろうとした時、カイトの聴覚は別の音を捉えていた。帯人もそれに気づいたようで、カイトの首から手が離れていった。 「……ますたぁ」 「うん」 奏はカイトに目を向けて、うっすら笑みを浮かべた。肩にかけたバスタオルで髪を拭きながら近づいてくる。 「珍しいね、たーちゃんがカイトと一緒にいるなんて」 「うん」 帯人は奏に纏わりつく。カイトの頭がずきりと痛んだ。カイトは心臓の辺りを押さえて奏を見る。奏は小さく頷くと、帯人の頭をぽんぽんと撫でた。 「たーちゃん、パソコンに戻って」 「……ますたぁ……」 泣きそうな声を出す帯人をなだめて、奏はパソコンへと向かった。帯人は渋々パソコンの中に戻る。 「たーちゃん、今日は一緒に寝ようね」 奏の言葉に嬉しそうな声を上げて、それっきり帯人は黙った。 奏はカイトに向き直る。 「首」 「……あ」 奏の手がのびてきて、反射的にカイトはその手を払い落してしまった。奏が驚いて目を丸くして、すぐに笑みを浮かべる。 「大丈夫だよ、カイト」 奏はカイトの首にそっと触れた。暖かい指が、帯人の指があった場所を辿る。 「たーちゃんもしょうがないんだから」 くすくすと笑った奏の顔が帯人と重なって見えて、カイトは強く目を閉じた。 (紫とピンクが瞼の裏を回っている) |