カイトはほとほと困り果てていた。そんな彼の心境を知らずに、両腕に抱きついている紫と茶色のピンクはそれぞれに話し続ける。
「昨日の晩御飯すごくおいしかったんだけど、辛かった」
「カッターちょうだーい」
「……二人ともいい加減にしてください」
控えめに抗議してみたが、反応したのは奏だけだった。帯人はまだぶつぶつと文句を言っている。奏のお願いで帯人には刃物を一切与えないことになっている。
「マスター、僕晩御飯の支度が……」
「はぁい。おいしいのがいいな!」
にっこりと笑う奏の頭を少し撫でてからカイトは立ち上がった。帯人が大人しく腕を解いて唇を噛む。
「けち」
「たーちゃん」
たしなめる奏の声にも不満そうにしたまま、帯人は奏の膝にころりと横になった。奏が帯人の髪を撫でる。
「はい、いい子いい子」
「いじわる」
帯人はカイトに向かって恨めしげに吐き捨てると奏の膝にすりすりと頬を擦り寄せた。猫ならばごろごろと喉を鳴らして甘えていると言える。
奏が帯人にあげた黒猫は、今もつぎはぎだらけで帯人の胸に抱かれている。帯人はこの不格好なぬいぐるみをとても可愛がっていて、カイトが記憶する限りいつも持ち歩いている。
だが、いつも持ち歩いているということは帯人の負の感情もその小さな身に受けるということで。帯人は傷つけることで愛情を確かめようとするきらいがあるので必然的にぬいぐるみはぼろぼろになる。
カイトが盗み見ると、黒猫はだいぶ修復されていた。そろそろ新しいものを作った方がいいのかもしれない。
カイトの視線に気づいた奏が、帯人に断りを入れてぬいぐるみを手に取る。
「あはは、こんなに直したんだねぇ」
「返してますたぁ」
帯人が手を伸ばし、奏の手を握る。違う手に握られた猫の頭を奏の指が撫でる。
「可愛いね。でもね、たーちゃん」
不思議そうな顔の帯人に奏が顔を近づけた。ごつりと額がぶつかり合う。
「新しい子がほしい?」
「いや」
穏やかな顔で目を細めている奏とは対照的に帯人は泣きそうに眉を寄せた。じわりと浮かんだ涙を見て奏はますます笑む。
「可愛いたーちゃん」
意地悪、と帯人の唇が動いた。奏は身体を起こして帯人の額を撫でた。
「でも、こんなに傷だらけなのにね。たーちゃんはこの子をたくさん愛したんだ」
「ますたぁみたいで、好きなの」
泣きそうなままの帯人にくすくすと笑い声を降らせながら奏が首を傾げる。カイトは食事の支度を止めて二人の傍に来た。
「マスター」
「いじめてないよ」
帯人が見ていて可哀相なほど悲しんでいるのだが、奏は分かっていてやっているので性質が悪い。
「駄目ですよ、帯人はそれをすごく大切にしてるの、知ってるでしょう?」
「でもそろそろ新しくしてあげないと、この子もう保たないよ」
「やだ!」
子供のように声を上げた帯人が奏の手からぬいぐるみを引っ手繰る。奏はなすがままに手を離す。胸にぎゅうと抱え込まれた黒猫の目が歪んでこっちを見ている。
奏は両手を肩の高さに上げてにこやかに微笑んでいる。泣きそうな帯人と相まってまるで悪魔の様だ。
「……分かってるよたーちゃん。大丈夫」
笑みを崩さずにそう言うと、奏は帯人の頭を撫でてそれから黒猫の頭を撫でた。
「だから、新しい子をあげるね」
奏の言葉が理解できなかったのか帯人はきょとんと目を丸くして奏を見返した。カイトは胸を撫で下ろす。
「あたらしいこ?」
帯人は無表情になって繰り返した。奏が頷く。カイトは咄嗟に奏の前に腕を出した。
帯人の不健康な色の手が奏に届く寸前で阻まれる。奏はカイトの腕越しにへらへらと笑っている。
「ますたぁ」
冷えた声がした。紫の片目がごろりと動いて目の前を睨む。
「新しくなるの」
「僕じゃない」
表情を変えずに呟かれた言葉に帯人は安心したのか微かに笑って見せた。その笑みは少し虚ろでカイトは寒気を覚える。
腕を挟んで狂った人と機械が一人ずつ。人は笑うばかりで、機械は変化を恐れるばかりだ。
「たーちゃんが好きすぎると、壊れちゃうよ」
「……ん」
奏はカイトの腕を除けた。帯人が奏の胸に額を擦り寄せる。
「大丈夫。僕はたーちゃんのことすごく大切に思ってるから絶対に変えたりしないよ」
何度も繰り返す奏の表情はカイトからは見えない。カイトは静かにその場を離れた。
紫の髪が奏の顎を柔らかくくすぐる。ぐりぐりと擦り寄る感触にくすくすと笑い声が零れる。
「甘えん坊さん」
一言だけ言って紫の髪を掻き回す。帯人が楽しそうな声を上げた。
カイトの目には、狂気が二つ遊び合っているようにしか見えなかった。