ますたぁをぎゅっとしていると、なんだか懐かしい気持ちになる。すごく安心する。
俺だけに許されている距離がある。同じように、カイトにしか許されていないこともある。
ますたぁに何回も言い聞かせられているから今更怒ったりしないけど、でもやっぱり面白くはなかった。
「あったかいね」
ますたぁはそう言ったっきり黙っていた。多分眠いんだと思う。ますたぁは小さい子みたいで、眠いとすぐに黙ってしまう上に眠っている時間が長い。
学校だとそんなことない、と前にますたぁのお友達が言っていた。だから家で眠そうなますたぁにすごく驚いていた。
「寝てもいいよ。何もしないから」
俺はますたぁに絶対に危害を加えないようにカイトにものすごくきつく怒られているから、頑張って我慢している。
ますたぁ本人も、俺の前であんまり無防備にならないように気を付けている、はずだった。
「……うん、おやすみたーちゃん」
それなのにますたぁは本当にすやすやと眠ってしまった。ねぇますたぁ、これ、俺はどうしたらいいの。
傷をつけてもいいの。ひどいことをしてもいいの?
良くないとは分かっているのに。
俺は気づいたら抱きしめているますたぁの細くて弱い首に手を当てていた。俺の手のひらの下で、ますたぁの脈がひくひくと動いていた。
ここを塞いで俺が力を入れるとますたぁは永遠に俺の手の届かないところに行ってしまう。ちゃんと、知っている。
逃がさない、と俺のどこかが泣いた。
「ますたぁのこと、逃がさない」
俺ははっきりと言葉にして、手のひらを引き剥がした。ますたぁはまだすやすやしている。
たった今俺に殺されそうになっていたとは思えなかった。俺はますたぁを傷つけることは大好きだけど、殺すのはやっぱり違うと思った。
ますたぁはかわいいなぁ。
青白い頬がすごくきれい。
でもますたぁはあったかくない。俺よりもずっと冷たく感じる。
本当に生きているのか分からなくなるけど、そういうときはますたぁが自分の首に俺の手を導く。
それで、ね、動いている。って言って笑う。
どうしてわざわざ俺のことをからかうような真似をするんだろう。ますたぁ、何をされたいんだろう。
「俺のこといじめてるの?」
「……どうだろうねぇ」
聞こえた声に俺はきょとんとした。ますたぁにしては低い声だった。声がした方を見て、俺はああ、と気付いた。
「お兄ちゃん」
「こんにちは、たーくん」
お兄ちゃん、ますたぁの、お兄ちゃん。響さん?ちゃんと覚えている。
「寝てる」
「知ってる」
お兄ちゃんはちょっと笑った。笑うとますたぁにすごく似ていた。
「奏はいじめてるんじゃないと思うよ」
「分かってる」
お兄ちゃんは俺の隣に座った。ふわっと少し冷たい匂いがした。
「たーくんはいい子だね」
お兄ちゃんがそう言って俺の頭を撫でた。ますたぁとは違う手のひらだった。
「ますたぁはいい子じゃないの?」
「俺にとっては二人ともいい子だよ」
お兄ちゃんはきれいだった。ますたぁはきれいだけど可哀相だった。でもお兄ちゃんは、そんなことがなかった。
俺は腕の中のますたぁを見た。すやすやと気持ち良さそうに眠っている。俺の身体は色々なところが欠けているからあんまり平らじゃないのだけれど、ますたぁはそんなことどうでもよさそうだった。
「お兄ちゃんは可哀相なんじゃないの?」
「俺?」
きょとんとした顔になったお兄ちゃんを見て、俺は少し笑った。あまり動くとますたぁが起きてしまうから、潜めて笑った。
お兄ちゃんはきょとんとした顔から困った顔になった。ますたぁはこんな風な顔はしないけれど、多分おんなじ顔になると思って俺はそれをじっと見て覚えた。
「俺は可哀相じゃないと思うよ。愛情も受けているし、奏にも好かれているし」
それともたーくんは俺が嫌いなのかな、とお兄ちゃんは言った。俺はぶんぶん首を振った。ますたぁの頭が少し動いた。
奏が起きるよ、とお兄ちゃんがますたぁの頭を撫でた。ますたぁが目を開けた。
「あ、兄さん」
「おはよう」
お兄ちゃんはますたぁに笑いかけた。俺はますたぁをぎゅっと抱きしめた。
「おはようますたぁ」
「おはようたーちゃん、兄さんと何を話したの?」
「教えない」
俺はくすっと笑った。お兄ちゃんが微かに笑っている。ますたぁは不満そうだった。
「つまんないの」
お兄ちゃんが手を伸ばして、ますたぁの頭を優しく撫でた。兄弟というより、お父さんみたいだった。
それからお兄ちゃんは俺の頭も優しく撫でた。俺はむずがゆくて首を竦めた。

俺は突然、誰にでも優しくてみんなを愛してるお兄ちゃんが、実は誰にも本当に愛されなくて可哀相なんじゃないかと、思った。